靖国参拝へのこだわりに見る総理の<原点>
小泉首相を個人的に知る方と1年程前にお会いした(飲み屋で一献傾けていた)折のこと。小泉首相の靖国参拝への意志の背景にあるものは何か、という話がでたのですが、その前に、この方の話を聞いて感じたのは、小泉首相って実はあんまりモノ考えていない人なんだな、っていうこと。これはバカにしているのではありません。人間として、あるいは一個人としての「誠」を第一義に行動するのであって、いわゆる政治家らしい(?)深謀遠慮などなしの正攻法でコトに当たっているだけのようです。これを馬鹿とみる向きもあるでしょう。僕は、素直というか、開けっ広げと言うか、隠しだてなしでものごとに取り組むタイプなんだろうと感じました。頭が悪いのでは無く、「政治家らしい頭」を使う以上に、自ら信じる「人としての至誠」を言動に表現しているだけなんですね。だから、いわゆる政治家らしい(?)「嘘つき」はしないし、できない人のようです。
そのように、従来の政治家のカテゴリーでは説明のできない人種だから、同じ政治家仲間からは「変人」扱いされるんでしょうね。「政治家」らしからぬ言動で、何を考えているか判らない、と普通の政治家から見たらエイリアンみたいに無気味な存在に映っているのかもしれません。
さて、「靖国参拝」についても同様に単純なことです。あの人は首相の立場で参拝することの意義や責任について考えていない訳ではないけれど、それよりも、日本の存続と未来の繁栄の為に、と命を捧げた、<戦犯>(存在自体が虚構ですが)を含む戦没者に対して心からの感謝と誠の思いを表現したい、という個人の止むに止まれぬ熱情が上回っているようです。公式参拝できればいいけど、そうでなくても終戦記念日に参拝することができればベター、という気持ちなんでしょう。
小泉首相は間違い無く、戦争で倒れ非業の死を遂げた日本人のひとり一人に、またその忖度さるべき心情に、自らと自分の思いをオーヴァーラップさせています。小泉首相はいつも、戦争で倒れた人々が家族に宛てた手紙や遺書の写しやそれが掲載された書物を手許においていて、政治家になって以来、一人のときはそれを何度も何度も飽くこと無く読み返しているそうです。彼の政治家としての情熱を激しく掻き立てる<燃料>は、戦争を通じて自らの思いとは裏腹に生きる道を閉ざされた多くの先達の、この国と家族への募る思いへの共感なのではないでしょうか。
ちょうど去年の今頃この話を聞いた僕は、その後小泉首相の姿を写真等で見る度に、古ぼけた写真で見たことのある特攻隊員が時空を超えて、背広に着替えて今そこに立っているような感懐に捕われます。数時間後に死ぬことが分かっている特攻隊員のように、この人には怖いものはないのだな、と…。利権や権謀術数など、とうに超越した想像を絶するレヴェルの「政治家」ですよ。この人には英霊が乗り移っているのかもしれない…。
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靖国で会おうと誓い合って、この国に殉じた先達の慰霊は、万難を排しても民族の義務として「靖国」で行うべきだろうと改めて感じた次第。すべての戦争犠牲者に… 黙祷。
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